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親の期待に答えたいと頑張りつづけたあなた。
ずっと頑張ったけれど泣かず飛ばず、ずっとモヤモヤし続けているあなた。
そんなあなたのための記事です。
かくいう私もその一人です。
幼い頃から絵を描けばクラスで一番、学校で一番。
末は絵描きかと美大まで出させてもらったのに、結局何にもなれずにうだうだする毎日。
でもまだ人生半分だし、なんとか親の期待に答えたいな…でも正直しんどいなぁ…
こんな感じで20年くらい過ごしてました。
美大の呪いとは
一時期ツイッターで話題になった漫画があります。
“美大の呪い”といって、美大を出たのに作品を作っていない、でも作らないといけないと考えている人にかかってる呪いです。
めちゃくちゃ「あるある」ですよね…
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暗い漫画「美大の呪い」 pic.twitter.com/TbOQkfc9Dw
— 凸ノ高秀 (@totsuno) 2014年9月8日
“自分は美大を出たんだから作品作りが好きなはず”
これが呪いです。
本当に好きだったら、そんなこと考える暇もなく作品を作り続けているはずなんです。
べつに作らずにすんで、それで精神にも生活にも支障がないのなら、作品なんて作らなくていいんです。
むしろその方が「普通の人」に近いですよね。
なのに、自分はクリエイターだと思い込んでしまって、作ってない自分にストレスがたまる。
他の楽しいことが見えない、こんな弊害があります。
美大に限らす、音大の呪い、大卒の呪い、色々とありそうです。
でも子供のころから、一芸に秀でている場合、その道で食べていかないといけないと思い込んでいる場合って多そうですよね。
ましてや、人生のあちこちで、自分が「負かした」相手が死屍累々としています。
「私はぐりおちゃんみたいに絵がうまくないから、もう描かない」と言った友人の顔なんかが浮かびます。
なのにもう描いてない自分…
あ~モヤモヤする~w
もやもやを抱えつつ読んだ本がこちらです↓
あなたの性格は変えられる
「その考え方、本当に自分のオリジナル?」の項を抜粋します。
親の考え方を自分の考え方と思って信じてしまう。
だから、信じ込んで、守ってきた。何十年も、守ってきた。
あえて言います。
「あなたが信じていること、信じてきたこと。それ、だいたいウソです。」
あ~、そうだよな~。
私だって子どもに言うこと聞かすために、ウソついたり脅したりしてるもんな~。
気分によって褒めたり、イライラしてる時は必要以上にけなしたりしてるもんな~(反省)
と思い、はたと上記の“美大の呪い”に思い至りました。
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親の願いを誤解していませんか?
私は美大に大していきたくなかったけど、大学は両親の夢だったので行かされた面が大きくありました。
現役で美大に落ちた時、浪人して行きなさいと言ったのは母でした。
思い出せば、私の小さい頃の夢は
1番 漫画家
2番 画家
だったのを、母が
「画家の方がいいよ」と言ったので、私はあっさり志望を変えて美大を目指したのでした。
それでも美大に来ても、何をやっていいかわからず、絵の方向性も決められず、CG(コンピューターグラフィック)に方向転換したのでした。
何をやっていいかわからなかったのは、当時の美大は、絵でも抽象絵画ですらない、コンセプトアートなどの現代美術が流行っていたため、そもそも絵をかくべきかという前提からひっくり返して考える必要があったのでした。
今思えばめちゃくちゃな話ですね。
入試でデッサン力を見たにも関わらず、入ったら、さあ何をやる?抽象?立体?デザイン?なんでもいいよ、と放り出されるんですから。
日本語の基礎ができましたね、じゃあ小説書く?論文にする?脚本?好きにして?と言われてるようなものです。
そんなわけで当時流行っていたCGに飛び乗って、それ以来絵をほとんど描かず、20年もモヤモヤし続けていたのです。
ずっと、親の期待に応えられてないな…と思いながら。
でもそれ、本当に親はそう思っていますか?
今、親になって分かるのは、親が子どもの幸せを望んでいないはずがない、ということです。
自分の母の顔を思い浮かべながら、うちの母が私の幸せを願ってないはずはないな、と気づきました。
期待があったとしても、そんなのささいなことです。
なんでこんな大前提が抜け落ちてしまっていたのか…
こんな簡単なことに20年も気づかずにいたのか…
自分に仰天しながら、この“美大の呪い”を書き換えました。
母がにっこり笑って
「おまえが幸せなのが一番だよ」と言っている姿に。
もちろん母が実際に言ったわけではないですが、イメージするだけでいいんです。
そうしたら、やはり20年間悩まされている、左肩甲骨の痛みがふわっとひいたのです。
ストレスが原因と分かってはいたものの、今まで何をやっても消せなかった痛みです。

全部自分で思い込んでいただけの「ウソ」だったんだ。
学歴社会の問題点
気づかなかった原因は、あまりにも競争社会に慣れていて、幼いころからそういう思考法が当たり前だったからというのがあります。
なんでも成績があり、上位に入らないと好きなことはできない、下位の教科はやる意味すらない、という思考です。
でもこれが間違っていると分かるのは、芸術をみれば明らかです。
上手な絵なら感動するのか?
上手な演奏なら心が動かされるのか?
上手い文章なら面白い小説なのか?
もちろん違います。
そもそも、クリエイターはなんで作品を作っているのか、もちろん楽しいから作っているんです。
いくら上手だからといって、作っている本人が楽しくないものは、見る人も楽しくありません。
漫画でも、映像でも、作者が泣きながら作ったものは、見る人も涙が出てくるものですよね。
これは余談ですが、
作品に現れるのは、作者の情熱、想い、願い、愛、人格、怖いのは妥協したところ、手を抜いたところまで全部見えます。
MADを作っていた時に気づいたのは、ほんの少し手を抜いただけでも、作品の質は格段に落ち、再生数にダイレクトに反映されるところでした。
いやあ、作品って怖いですね~。
そんなのことはわかり切っているのに、なぜか、美大、芸大などは上手さの順位で決まるのですから、おかしいですよね。
でもなぜか成り立っている。
見る人が判断できないからというのも一因かもしれません。
有名な美大を出た人の絵だから素晴らしいんだろう。
賞をとった画家さんだからすごいんだろう。
テレビによく出てる人だからすごいんだろう云々…
でもそんな世の中ももうすぐ終わりそうですね。
ネットで個人が情報を発信して、個人で商売できるようになったからです。
学歴も成績も関係なく、見る人がいいと思えばいい作品です。
もちろん、宣伝や営業など別ジャンルの工夫も必要ですが、いい時代が来たものです。
私も幼い頃、友達がピアノが上手だったので、その演奏をうっとりと聞きながら、
「Kちゃんがこんなにピアノ上手なんだから私はやる必要ないよね」
と思って、まったく努力しませんでした。
そのせいで演奏の楽しさも分からず、ただ自分は下手だ下手だと思っていただけでした。
でも大人になって気づくのは、演奏ってすごく楽しいんだということです。
こんなに面白いんなら、もっと練習すればよかった。
今ピアノが弾けたらどんなに楽しかっただろうか。
私が昔しかばねにしちゃった友人も、今頃絵を描かなかったことを後悔してるだろうか。
そんな風に思いました。
まとめ
心屋仁之助さんの読んでよかった本をもう1冊紹介します。
がんばっても報われない本当の理由
この本は本当にいいですよ。
私が最初に読んだ、心屋さんの本です。
うまくいかない原因は、
「がんばっている」からです!
心屋仁之助さんの本はたくさん出ていますが、要点は重なる部分が多いです。
どれから読んでもいいと思いますが、私はこれが良かったです。
幼少のころに作った「セルフイメージ」は間違っていませんか?
それは親のウソでできていませんか?
そういう考えも書いてあります。
読むと心がすーっと軽くなりますよ。